2012年05月07日

松本竣介展

GW中に久しぶりに岩手県立美術館へ行ったのでメモ。

岩手県立美術館って実はそんなに何度も足を運んでいなくて、今回が多分二度目。
一度目はピカソ展。
とても空いていて、ゆったりとひとつひとつの作品を見ることが出来て、美術館になるだけ行きたいなぁ、と思ったものでした。
私は音楽以外の芸術には本当に疎いもんで、絵画を見ても「ふーん」としか思えないような人だったりします。
でもこのピカソ展はかなり楽しめました。
だからといって絵画を見ることが好きになったわけではないし、彫刻にしても何にしても、あまり心惹かれなかったり。

で、今回もあまり(実は)気乗りしてなかったのですけれど、ルーブル美術館の展示物の一部を被災地の美術館で輪番展示みたいに公開するらしく、たまたまこの連休中に岩手県立美術館で公開されていたんですよ。
妻がこういうの好き(妻は絵画が好きなのです)だというのと、私も歴史的資料価値の高いものをこの目で見ることが出来る、という事にロマンを感じて(笑)、行きました。

ルーブルが目当てでしたが、その時たまたま開催されていた「松本竣介展」もついでだから見ようか、と見てみたわけですが・・・これがもう感動しちゃって!!!!
岩手が生んだ夭折の天才画家、らしいのですが、失礼ながら私はお名前を存じ上げませんでした。
とてもたくさんの絵画がストーリー性を持って並べられたその展示空間は、私にとってはルーブル美術館展よりもずっと貴重なものに思えてなりませんでした。
いや、もちろんルーブルも良かったんですよ。
古代エジプトの出土品とか、ルイ14世のコレクションの一つが見れたりとか。
完成された美、とでもいいましょうか、確かに美しさの極地、と言いたくなるくらいに見事なものが並んでいました。
あの「曲線美」はエロスすら感じますね。

それとは全く対極な松本竣介展。
直線の織りなす繊細さと力強さの共存。
それらに立体感と深みをもたらす「青」。
この方はこの「青」が独特の雰囲気を生み出しているんですね。
(実際この人を語る上で「青」というのは外せない要素との事)

そして何よりこの人は「常に未完」であったのでは、と。
とにかく作風が変わりまくります。
短い生涯(36年)のなかで、ここまで変わりながら、それぞれで果敢な挑戦をしていて、なおかつそれぞれで自分のスタイルを確立するところに至る、というのは本当に凄い。
実験的な作品も数多くありました。
人物画ではどんどん対象が中性的に変わっていくし、突然自画像を多数書いたかと思えば、家族を書いた絵も存在したり。
自分の子供が描いた落書きをモチーフにしていく辺りでは、自分のトレードマークとも言える青を使う事で、立体感や躍動感を生み出そうとしていたりして、子供の描いた絵に秘められた何かを掘り起こそうとしているかのようでした。
また戦時(幼少の頃に聴力を失ったため兵役免除)にはあえて空襲の多い東京へ残り、戦後にはその中から芸術協会を立ち上げようと苦心する。
戦後の作風も大きく変わり、青い色ではなく、なんというか赤茶を基調とした焼け野原を描写していく様には、作品を通して戦後の焼け野原の美しさを表しつつ、戦争という野蛮な行為そのものに対しての怒りも見え隠れしているように思えました。
(戦後の焼け野原の美しさ、については氏自身がそのように語ったとされ、ただし戦争で亡くなった人たちの事を思えばそんな事は軽々しく口には出せないことは承知している、という前置きの上で「それでも美しい」と表現されていました)

それで。
この展示を見ながら思うのですが、もちろん松本竣介自身の絵の力による感激もありますけれど、こうした「展示」は、いわば作者の「点」ともいえる作品を、展示する順番などを苦心しながら我々見る者の「動線」でつなぐ、という行為があってはじめて伝わってくるのだな、と。
点だけで彼の人生すべてを語ることは出来ないわけで。
これこそがいわば美術館における学芸員の仕事であるのだ、と妻に教わりました。
なるほど。

そして最後の最後。
戦後の彼の赤茶の絵画が並んで、最後の最後、一枚が小さな青い絵で終わっていました。
この青い絵が何を表しているのか、細かい注釈はどこにもありませんでしたが、これこそは学芸員のメッセージであるのでは、と。
一点この青い絵が出てきたおかげで、私はここがこの展示の最後である事を理解したし、全体をぐっと締めてくれたと思っています。
それだけでない何かがあったのかもしれません。
言葉に出来ない何かを感じ取った気もします(し、感じ取れなかったかもしれません)。
いずれ、最後の一枚をもって、私は松本竣介の人生に深く立ち入りながら、現実へ戻ってこれたのでした。


美術館、面白かったなぁ。
日常の中の非日常、という意味では、音楽と通じるものがありますね。
俄然絵画に興味が湧いてきました。
描く、というのにはあまり惹かれませんが(笑)、東京にせっかく出てきてるんで、ちょっといろいろ巡ってみたいな、と思わされました。
posted by ぎじん at 09:05| 岩手 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

GW

今年のGWは長期。
4/27の夜に新幹線で盛岡へ帰り、28〜5/6まで。
5/1,2に休みを取ったのが一番大きいかな。
9連休なんて社会人になってから・・・と思ったら、そういえば転職する際に2週間ほど休み取ったんだった。
でもまぁあれは引越し準備とかでバタバタしてたし。
年末年始も休めたけれど、年末年始って「休む」というよりはバタバタすることが多いので。

そういう意味ではとても長い休み。
ゆったりと休みがとれて本当に良かったな、と。

とにかく妻子と出かける日々でした。
行ったところだけ列挙すると
<妻子と>
・遊園地(岩山パークランド)
・乗り物公園
・盛岡手づくり村
・高松の池(花見)
・映画(スーパーヒーロー大戦)
・東京インテリア
<妻と>
・carta(盛岡のカフェ)
・川徳(盛岡の百貨店)
・M'sExpo(書店・CD/DVD・文具店の複合施設)
・岩手県立美術館
・イオン
<息子と>
・交通公園
・近所の公園

1,2日は息子が小学校へ行っていたので、その時間に久しぶりに妻と二人で出かけました。
半年前に引越し手伝いで東京に来てくれた以来の二人の時間でした。



振り返ってみて思うのは、転職して東京で一人暮らしをはじめて7ヶ月くらい経つのですが、それなりに疲れてたんだなぁ、という事。
今回の長期の休みでは、良くも悪くも仕事の事をなるだけ考えないようにして、家族と向きあう事を心がけました。
まぁそれでもちょくちょく仕事の事が頭をチラつくわけですけれど、それでもここまで仕事の事を考えない期間を長く持てたのはちょっとあまり記憶にないかなー。

とにかくこのGWで身体のむくみが取れました(笑)。
一番は食事なんですね、きっと。
三食をきちんとした時間にバランスよく食べる。
何よりも「腹八分」でおさめる。
夜に晩酌も何度かしましたけれど、それでも体調はすこぶるよろしい。
東京戻ってからの生活スタイル、見なおさなきゃなーwww

まぁ一人暮らしのストレスもあるんですよね。
それは否定しません。
なにしろ食事は作ってくれる、洗濯はしてくれる、掃除はしてくれる、ですからねぇ。
妻には感謝してるつもりなのですが、今回はその偉大さを改めて思い知らされました。
うー、9日ぶりに帰る東京の自宅がどういう状態なのかを思うと(苦笑)・・・。

なんにしてもとても有意義に過ごせた9日間でした。

さて、東京にいよいよ戻るわけで、戻る新幹線のなかでこれを書いてるわけですが、月並みながら「健康第一」で出稼ぎ頑張りますです、はい。
posted by ぎじん at 09:02| 岩手 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月11日

一年が経って

はぁ・・・。

やはりこの事について書かなければいけない。

あの震災から一年経った。


まさか未曾有の大災害が、自分の生まれ故郷に起こるとは思わなかった。
ずっと「いつかこの地が有名になる日がくるといいな」と思っていたが、こんな形で世界的に有名になるとは思わなかったし、こんな形で有名になってほしくはなかった。

生まれ故郷の岩手県大船渡市にしても、隣の釜石市や陸前高田市にしても、子供の頃に過ごした、記憶に刻まれている街並みが、ごっそり何もかも無くなってしまったあの日の事は、今でも覚えている。


3/11のtwilog
震災当日。
http://twilog.org/gijin_ob/date-110311/asc-nomen


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少ない情報の中、iPad3Gで集めた情報などで発信も。
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少しずつ状況がわかりはじめた(電気が通った)ので実家の話に触れだす。
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自転車で出勤。この日、中三盛岡店でガス爆発。爆発後少ししてから前を通ってる。
そして大船渡の母と電話で会話出来た日。本当に良かった・・・。
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3/15のtwilog
被災地情報をツイート。
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自粛ムードが出始めていて、それに対しての反論とか。あと宮沢賢治の「雨ニモマケズ」をツイート。
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3/17のtwilog
被災地に入った人からの話などが入りまくっていて、その話も含めて状況をツイート。
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一週間後。
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震災以降、妻に「なんか精神的におかしいよ」と指摘を受けてる。ツイキャスで安否知らせたのがこの日。
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3/20のtwilog
粒オケの人たちによる「贈るブラ1」を会社で見た日。そしてこのまま会社泊まりこみの作業だったが、余震が来てすげー焦った。
何しろビルの中に自分が一人(しかも6F)という状況だったから・・・崩れたらヤバイかも、とか思ったもん。
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3/21のtwilog
徹夜あけで、とりあえず朝ラー出来るくらいには元気に(元気なのかこれは?)。
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ちょっと飛んで。
初めて被災地である大船渡市に行った時のツイートがこのあたり。
4/2のtwilog
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4/3のtwilog
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4/4のtwilog
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中程にベトプロメンバーの楽器流されちゃった件についてちょこっと呟いてます。

そして4/7にまた大きな地震。
4/7のtwilog
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この日の最後のツイートで触れてます。

4/8のtwilog
地震のために呼び出しがあり、停電の中、妻子を置いて真っ暗(信号もつかない)な盛岡市内をゆっくりと会社に向かったのを思い出す。
あの日、不安がる二人を残して行かなければいけないというあの申し訳なさは、一生忘れないと思う。
http://twilog.org/gijin_ob/date-110408/asc-nomen


でもって4/17には大船渡市で行われた復興コンサートにも出ましたね。
4/17のtwilog
http://twilog.org/gijin_ob/date-110417/asc-nomen



で、4/25には震災後初の東京出張。
新幹線が直通じゃない状況で、乗り継ぎで行くんだけれど、仙台駅で足止め食らったのを思い出す。
http://twilog.org/gijin_ob/date-110425/asc-nomen


さらに、4/27に帰る予定が、新幹線がまた泊まって、東京にもう一泊した話。
http://twilog.org/gijin_ob/date-110427/asc-nomen




なんかまとめようと思ったけれど全然まとまらない。
結局、何一つ終わっていないから。
本質的には一年前となんにも変わっていない気がしている。


少なくとも、来年の今頃は、もう少し軽い気持ちでこの日を迎えられますように。
震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
posted by ぎじん at 03:13| 岩手 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月09日

盛岡から東京へ

結局更新が滞ってますけれど、まぁ風邪で調子悪いという事にしておいてください。

で、今、盛岡駅です。
これから深夜バスで東京に戻ります。

盛岡には「帰る」、東京には「戻る」

この微妙なニュアンスを汲み取っていただければ(笑)。


まぁ相変わらず息子には大泣きされながら別れて来たわけですが・・・こればかりは全然慣れないですね・・・。


今回の深夜バス、いつもとちょっと違います。
それは「3列独立シート」なんですよ!!!!
今までは普通の4列シート(2列、2列で隣の人と触れ合ってしまう構造)だったのですが、ついに!

まぁ今回は盛岡への帰りのバス(1/6の夜)は4列でありながら、隣があいてたんですよねー。
そういう意味では快適っていえば快適だったのですが。

今回はおそらくそれを超えて、さらに快適なのだと思われます。
アイマスク、首まくら、ブランケットがついてくるそうで、あとは腰枕は持ってきているので、これでもう万全!
万全の状態で、ぐっすりと眠って行こうと思います。
一応予定では6:50に新宿駅到着予定なのですが、前回の状況からするとかなり早く到着しますね。
6:00前には到着した前回を考えると、一旦平和島に戻って着替えたりシャワー浴びたりしてから出社出来るので、これまたラッキー。

ということで、なぜか東京戻るのにちょっとテンション上ってます。
決して風邪のために飲んだ葛根湯のおかげで身体がほてっているわけではない、と信じたいところです。

ではそろそろ出発、出稼ぎに行ってまいります。
posted by ぎじん at 22:58| 岩手 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 日々の独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月03日

豊富じゃな程度に抱負

我が家ではすでに正月モードから通常のモードに切り替わっているのですが、体調不良でぐーたらしてるとあまり変わらんよね、とか。
そんな体調不良もなんとか一段落、回復傾向です。

毎年豊富な抱負を持つのですが、今年は高望みはせず、以下の三つのことを心がけます。

・当たり前のことを当たり前にやる事
・インプットとアウトプットの量を「飛躍的に」増やすこと
・健康でい続ける事

当たり前の事を当たり前に、というのは、何を当たり前にするのか、というところを自己の判断で割と甘くもできるのですが、ここでは他者が「まぁぎじんならこのくらいできて当たり前でしょ」というのをあまり頑張らずに当たり前にこなせるようになるという事、と捉えてもらえれば。

インプットとアウトプットについてなんですが、ほとんどTwitterへの投稿だけで昨年は終わってしまいまして。
インプットは圧倒的に足りなかったし、震災以降、気力が薄れていたのも事実。
Blogも更新少なかったし、Facebookもmixiも放置気味だったんで。
今年はあまり中身のなくっても、とにかくアウトプットを多めにして行こうかな、と。音楽の話題が多いかもしれませんが、まぁあまりテーマにこだわらずに書いていきたいな、と。
アウトプットがふえれば自然とインプットも増えると思うので。
ま、とりあえず毎日更新できたらいいな。

健康で、については、もうそのまんま。
この年末年始が体調不良でガタガタなんで、もうこのあとは健康でいこう、と。
やっぱり健康第一ですよ!
何か運動しないとなー。


とりあえず東京戻ったら自転車のタイヤの空気入れます、はい。


Posted from DPad on my iPad
posted by ぎじん at 19:24| 岩手 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月02日

年始から体調不良

えー、年末年始をこんな体調不良で過ごす事になるとは思ってもみませんでした。
大船渡から今日帰ってきて、盛岡にもどったんですが、どうにも寒気が。
うー、まさに寝正月の様相を呈してきましたね。
アルコールも一滴も飲まずに過ごす年末年始なんて・・・むむぅ・・・。


ちょっと冬休みの宿題もあったのですが、そういうのもみんな置いておいて、まずは体調回復につとめます。

4日の夜に東京戻って、5日からお仕事開始。
(でも6日の夜にはバスでまた盛岡戻って、7日にはベトプロ初回練習・・・翌週は仕事で西の方に出張だったり、粒あんがあったり・・・なかなかハードな日々の予定)
盛岡いる間だけでもじっくり休ませてもらおうかな、とか思ったりもしております。

皆様もどうかお身体ご自愛下さいませ。
posted by ぎじん at 23:41| 岩手 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月01日

謹賀新年

皆様、今年もよろしくお願いいたします。

2012年、またまた地震で始まった年ではありますが、なるだけ今年は穏やかに生きたいな、と思ってます。

すでにわかってるイベントとしては。

1月15日に粒あん。
オーボエでの本番は、これ以降入ってないんですよねー。
引退公演www

3月4日にベートーヴェンプロジェクト。
キャラホールで。
ヴァイオリン協奏曲と交響曲第7番。
指揮します。
入場無料。
詳細はまた後で。

その後、息子の卒園式。
そうか、もう息子は卒園か。
4月から小学生になります。
早いなー。

3月25日には、昨年なんやかんやで結成されてしまった「ぎじんオケ」の本番。
シューマンの交響曲第2番、ブラームスの交響曲第2番。
一日で練習と本番、って無謀すぎるwww
で、またまた指揮します。
音楽なイベントはこれで終わり。
次の予定はありません。



仕事の方は、いろいろ勝負の年でして。
会社的にも個人的にも。
会社立ち上げのタイミングでJOINさせてもらったということもあり、これまでは生活含めて慣れて行く事に主眼がおかれましたけど、もうそういう段階は終わってて、かなり実戦な話にシフトしつつあります。

家族ともまだしばらく離れ離れの生活が続きます。
精神的にも肉体的にも健康で生きていけるように、気をつけていきたいと思います。


改めまして。
昨年はお世話になりました。
今年もどうぞよろしくお願いします。
posted by ぎじん at 23:17| 岩手 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月31日

2011年

帰省しております。

盛岡は雪。

今年は・・・本当にいろんなことがありました。
毎年月並みにこのセリフを書くのだけれど、この2011年に関しては、しみじみと思わされます。

忘れたい一年でした。
忘れたくない一年でした。
忘れられない一年でした。
忘れてはいけない一年でした。


思えば2011年は東京で迎えました。
仕事で出張。
一人で年末を過ごし、年始を迎えた、そんなスタート。
今年は忙しくなるなぁ、思いやられるなぁ、そんな話を家族としていました。


個人的に大きなニュースを幾つか。

まず。
2月に36歳になりました。
昭和52年9月1日、父が35歳で亡くなっています。
当時私は2歳半。
亡くなった父はいろんな人達に「あいつは凄いやつだった」を言われた人。
子供の頃からずっとそれを聞かされていた自分は、父は乗り越えられない壁、という思いで生きてきました。
そんな父を、ようやく超えられた、そういう瞬間。
憑き物が落ちたように、気持ちが軽くなったのを覚えています。


それから。
9月に転職。
東京に移り住みました。
14年以上勤めた会社を辞めて、まぁ言ってしまうと「ベンチャー」な企業に転職。
ほぼ10年ぶりの一人暮らし。
結婚して9年、もうすぐ10年というのにねぇ。
妻子を盛岡に残して、一人で東京での生活です。
何しろ学生時代、社会人生活を通して10年間は「下宿住まい」だったわけで、実は自炊の経験ってないんですよ。
料理と呼べるものではありませんが、なんとか自炊と外食(主にラーメン・・・ってヲイwww、いやマジでラーメンばかり食べてるわけじゃないですから!)で生きとります。

息子も5歳で、来年いよいよ小学校。
どのタイミングで東京へ妻子を呼ぶか、非常に悩ましいところですが・・・あと数年はこうした生活は続く予定です。

仕事の話は・・・まぁちょっといろいろな人が見ているのを知っているので、微妙に書きにくいんで、まぁご想像にお任せします(笑)。





で、結局やっぱり、2011年は・・・。

3月6日、ベートーヴェン・プロジェクトでピアノ協奏曲第6番(Vn協奏曲の編曲版)と田園を演奏。
とても大変な曲なので、これを乗り切れば、という思いもあって。
遠くからたくさんの方々にも見に来てもらいました。
なんとか無事に演奏も終わり、個人的にもひとつの区切りをようやく超えたな、と思いました。

・・・その余韻に浸る間もなく・・・3月11日。
あの日です。

何を書いたらいいかなぁ。

長く激しく揺れた地震。
停電により状況がまったくわからなくなった日々。
大船渡に残している母と祖母の安否がわからず不安な日々。
友人知人の訃報。
見知った街が壊滅しているのを実際に目にした時の虚無感。


震災が起きてからしばらくの間、Twitterでは被災地の情報という事で、私が見聞きした情報をなるだけツイートするようにしてました。
私自身の思いも含めて、しばらくは震災ツイートを繰り返していました。
でも今はほとんどツイートをすることはありません。
これは別に震災のことを忘れたわけではないんです。
津波の被害に遭われた方々が、自分たちの見てきたものを情報発信出来るようになったからです。

実家のある大船渡へ行って、実際に被災地を目の当たりにしたり、避難所を実際に見たり、現地の知人からの話を聞いたりしたことを、盛岡に戻ってからツイートすることが多かったし、それらの話をまとめた上で自分の思いも含めてツイートしていました。
でも私自身がリアルで津波の凄惨さを体験したわけではないし、避難所で生活してたわけではありません。
私が語ることはやはり一面でしか捉えられていないよね、という思いをずっと持っていたし、現地の人たちが自分の思いを自分の言葉で語れるようになったのであれば、逆に私は余計なことを言うべきではないよね、と思ってフェードアウトしています。

久しぶりにこうして震災の話を書こうかと思いだしてもみましたが、やはり言葉を選んでしまいますね・・・。


あの震災がなければ、転職もしなかったよなあ、とつくづく思うわけで、被災された方々がそうだったように、私自身も人生が大きく変わりました。

そう、2011年は人生が変わった年。
決して忘れる事のない、そんな年になりました。

そんな2011年ももうすぐ終わり。

本年はたくさんの方々にご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした。
来年もまだまだ皆様にはご迷惑をおかけするかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

それでは皆様、良いお年を。

posted by ぎじん at 00:02| 岩手 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月16日

転職してから一ヶ月以上がすぎまして・・・

絶賛放置中のBlogですが、そろそろ。
まぁ前職のおえらいさん(本当のおえらいさんにはまだだけど)に知られたので、もういいでしょう。

8月で前職を辞めて、9月から東京に来て。
あれ?もう10月なってる?
というぐらい、あっという間の1ヶ月でございました。

んーと、新しい職場についてなんですが、私のBlogの読者はおそらく「ん?何その会社?」という感じだと思うんですが・・・。
名前はあえて書きませんけど、10月に出来たばかりの某空飛ぶ潜水艦的な社名の会社に入っております。
東京の下町地名的なフレームワークとかで(その筋では)有名だったりします。

とはいえ、私はですね、そっちのフレームワーク的なというか、分散技術的な話は(今の段階では)それほど深く関わっておらず、前職でやってきたお仕事の上位層な仕事をするような、まぁそんな感じです。
むしろコミュニティな人たちは「は?そんなやついるの?誰?」というような感じだとは思うんですが、まぁそういう人も入ってるんだ程度の認識でよろしく(笑)。



それにしても、オフィスの環境はすごい。
MacBookAirは支給されたし、iMacとThunderboltディスプレイが2枚!
三面鏡で仕事してる感じですよマジで。
机の広さも「こんなに?」ってくらい広いし。
ビーズクッションが転がっていて、誰とは言わないですけど「えいっ!」と飛び込んでいる人が数人いますよw
ベランダも川沿いってことで清々しいし、ウッドデッキにウッディなテーブルとチェアが並ぶ様は、なかなかにお洒落ですね。
こんな快適空間で仕事出来るなんて、本当に幸せ。



わずか一ヶ月チョイですけれど、この期間で自分の今までやってた事の深みがほんの少し増した気がします。
自分のバックにある知識が、それまでは平面に一列に並んでいる感じだったんですけれど、なんというか、三次元の位置情報を持ち始めた感覚。
論理的な話の仕方をする人が多いので、こっちもそれなりに鍛えられるわけですが、それをやっていると自分の持っている知識というか情報が座標を持ち始める事に最近気付いています。
同じ知識量でも、座標をつけて、なおかつタグ付けが行われると、組み合わせのバリエーションと速度が上がるのがわかります。
2ヶ月前に同じような発想を持って人と話せたか?と言われると多分No。
ここに気付いたのは実はここ数日の話なんですけれど、これって意識出来るようになると滅茶苦茶面白いです。
まだ制御しきれてないというか、整理が出来てない部分もあるのですが、もう少しだけ時間をかけて整理して、新たな知識や経験を最初からタグ付け&座標付けのようにパラメータ付けていけたら、まだまだ自分は成長出来る、という確信を持ちました。


まぁちょっとこの話は私の個人的な話なのでこの辺でw
いずれまぁ楽しくやっております。
posted by ぎじん at 20:29| 岩手 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月31日

退職しました

本日、14年と5ヶ月つとめた会社を退職しました。
大変お世話になりました。

そして、36年間生活してきた岩手県での暮らしも、今日が最後となりました。
明日から東京へ移住します。
単身ではありますが、そう遠くない未来で妻子も呼びます。
でも老後は盛岡で(笑)。
今まで定冠詞のように「岩手のぎじん」といってきましたが、もうそうじゃなくなるんだなー、と思ったり。



新しい職場ですが、一応名目上は明日から席をおくことになります。
実質は9/5からの出社。
新たな会社の話については、まぁいずれどこかで触れることもあることでしょう。



それにしても。
引っ越しのお手伝いをしてもらう関係で、明日明後日は妻も一緒にいくのですが、息子と愛犬はおいていくことに。
なので、妻の実家に息子と愛犬をお願いしたのですが、「パパー、がんばってねー、ガハハ」的な具合でノーテンキだった息子も、去り際には本当に寂しそうな顔を見せました。
目に涙をたっぷり浮かべながらも、無理矢理つくっていた笑顔をみて、自分の今回の決断が本当に正しかったのかどうか、と思い、こちらも涙が止まらなくなりました。


残された家族のためにも、一日も早く新しい環境に適応し、バリバリ頑張ろうと思います。
ものすごい月並みな話になっちゃってすみません(笑)。


ちなみに、9/1は父の命日。
34年目の命日に、息子は故郷を離れて新天地でがんばります。
どうぞ残された家族を見守ってください。
お願いします。


さ、もう寝よう。
さらば、盛岡。
さらば、岩手。
posted by ぎじん at 23:30| 岩手 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 日々の独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月24日

残すところ一週間

退職まで残り一週間。

 

8月末での退職となるので、盛岡での生活もあと一週間となりました。

現職では今日あたり、公式に発表になるのかな?

(たしか一週間前・・・明日かも?)

 

 

岩手県大船渡市に生まれて、宮城県岩沼市にほんのちょびっといて、その後また大船渡へ帰ってきて。

高校卒業してからはずっと盛岡で。

 

岩手を離れるなんて思いもよらなかったのに、この年齢(36)でまさか岩手を離れる事になるとは思いもよらなんだ。

人生はどこでどうなるかまったくわからんですね、本当に。

 

 

日曜と月曜で、家族三人で温泉に行くことにしました。

もっと早く行っておきたかったのですが、準備のバタバタであったり各種手続きなんかもあって・・・。

ようやく日常を離れてゆったりと休養出来るなぁ、とおもっています。

 

 

というのも、8月からはとにかくいろんな手続きやら挨拶周りやら引越し準備やらでバタバタバタバタ。

私一人の引越しというよりも、ここ数年のうちに家族もまるごと関東に引っ越す予定にしているもので、割と将来を見据えた断捨離を行っているわけで。

私が新居で購入する家具家電も、家族が来たら捨てるというようなものではなく、家族と一緒に住んでも捨てずに使えそうなものをピックアップしたり。

(なので私一人で使うにはちょっとオーバースペックなものもあります)

部屋探しも、一人で住むというよりは家族がたまに来てもあまり手狭にならずに親子三人少しゆったり寝れるくらいのスペースが必要で・・・。

 

 

まぁいろいろ難航したわけですが、とりあえず9/1より大田区民になる事は決まりました。

大田区在住の皆様、どうぞよろしくお願いいたします。

 

退職、引越し、転職にあたって、実は一番大変なのは「お金」です。

わかってはいた事ですが、やっぱり「あぁ、これもかかる、あれもかかる、これは入ってくると思ったけれど入ってこないのね・・・」みたいなのがいろいろ出てきます。

臨時収入的なものもあれば、全くさっぱり何ももらえない(それどころか「え?これも支払うの?」というようなものも出てきます)わけで。

 

このあたり、近いうちにBlogに書こうと思います。

まぁあまり詳細までは書きません(書けません)けど・・・。

 

まぁそんなこんなで残すところ一週間。

家族や岩手という土地をちょっとでも満喫したいな、と思います。

posted by ぎじん at 07:33| 岩手 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月12日

退職のお知らせ

すでに何人かの方にはお知らせしていたのですが、改めて。

8月末をもちまして、盛岡の今の職場を退職する事となりました。
関係者の皆様には本当にお世話になりました。

今後ですが、なんと東京に移住しちゃいます。
当面は単身で。
数年後に落ち着いたら家族も連れていく予定です。
老後は盛岡でw

まぁ先のことなんてまだまだ何も分からないわけですし、不安でいっぱいだったりもしますが、なんとか頑張って参ります。

以上、取り急ぎ報告まで。

posted by ぎじん at 13:08| 岩手 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日々の独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月29日

Google Chromeの機能拡張「ScribeFire」からSeesaaBlogを更新してみる

ちょっとテスト。
どういう風に投稿されるか、のチェック。

posted by ぎじん at 20:15| 岩手 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月12日

三ヶ月目

震災から二ヶ月が経過し、いよいよ三ヶ月目。
何事においても「3」という数字は象徴的だったりする事が多いのですが、「三ヶ月目」というこの月は、いろんな象徴的な問題が出てくることでしょう。

いろんな方々のBlogだったりTweetだったり現地に行っての印象だったりを総合して、自分なりに「おそらく顕在化してくるだろう」問題点について3つまとめてみると

(1)気温が上がって来て衛生面の問題が顕著化してくる

(2)自治体毎の支援体制の差が顕著に現れ始め、避難者の間で不公平感が増す

(3)GWが明けて、なんとなくみんな「震災は落ち着いた」と思い始め、被災地置いてけぼりの復興議論が湧き上がる


一つ一つを細かく紐解かないですが、なんとなく想像に難くないのでは。
(3)なんて、被災地を見てきた人たちならわかると思いますが「復興????来年の今頃になって瓦礫が片付いてたらそこで議論するべ」っていう状況です。
大船渡の実家に何度か帰り、何度か大船渡や陸前高田市の友人知人と話もしましたけれど、ここはみんな共通しています。

「復興ッテ、ナニソレオイシイノ?」

青写真を描くというのはそれはそれで必要な工程だとは思うけれど、この復興議論が(月並みで申し訳ないですが)被災地への押し付けにならない事を祈ります。



それからもう一つ。
震災以降はみんななんとなく「あそこよりはマシ」とか「あそこに比べたらうちの方がひどい」というような「被害の優劣(?)の競い合い」はほとんど出さなかったように思っていて、それは賞賛すべきことだと思っています。

ですが、避難所にモノが満ち足りはじめて(十分ではないところ、ニーズにあったものがない、という場所は数多くあります!)避難者の方々が避難所生活そのものに対して少し落ち着いてきたところで、自分の人生を改めて考えはじめているこの時期に、どうしても「他者、他所との比較」が顕在化してくるのではないか、と思っています。

これは上記にあげた3つの事柄よりも深く根深く長く続いていく問題点だと思っています。

嘘じゃなく、孫の代まで言われ続けるのが、田舎クオリティです。
いや、揶揄してるのではなく、それだけ土地への縁が深い、という事なのです。
それが田舎というもので、そこを理解しないといけなくて、そういう大事(これ、大事なことですよ)な事を「瑣末な事、それどころじゃないんだからそんな細かいことは気にするな」って言った時点で、土地に(良し悪しは別にして)根づいている文化否定になるわけで。


・・・うーん、なんだか取り留めもない内容ですみません。
自分でも書きながら(震災に関する日記系の話はみんなそうなんだけれど)、だからどうすればいいの?っていう回答を出せずに、問題点だけ列挙してしまいます。
そして一人で思い悩んでしまいます。
むー、むー、むーーーーー。
さらに言っちゃうと、ここに書いている問題点だって、私がそう思っているだけなのかもしれず、実際には「そんなのどーでもいいことなんだよ」って支援する側される側の双方に全否定される内容なのかもしれませんし。

で、そういう事を恐れているうちに、最後は「個人で震災の事について雑感を書くのが難しい状況なんだな」という結論に達してしまうのです。

結局はすべて「個人の思い」でしか考えられないし、動けないんだよなぁ。

今のままでは「評論家」でしかないので、寄付とかいう支援だけでなく(千円札と間違って一万円札を募金箱に放りこんでしまって激しく後悔してるのは内緒の話)、具体的な支援をどうするか、もう少し考えてみます。
考える、っていうフェーズも、この三ヶ月目で終わりにして、来月には具体的に何か動ければ・・・。
posted by ぎじん at 07:15| 岩手 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月26日

震災における中間報告(その3 震災でのITのこと)

震災から二週間経った今も、いろんな悲しい報告などが入ってくる今日この頃。
それでも被災地の情報が入ってくるようになって、だいぶ気が楽になってきました。

しかし、二週間経ってもまだライフラインが復活しない地域があるとか、こちらへの情報がまだ入ってこないとか、そもそも盛岡ですらガソリンや物資が不足しているという事態は、やっぱり異常事態だと思っています。
改めて今回の震災の凄まじさを物語っているのだと思います。


さて、今日は中間報告その3として、震災におけるITのことについて書いてみます。

今回の震災において、私が心の均衡を(少なくとも震災直後の停電時)保てたのは、ITがあってこそ、だったと言っても過言ではありません。
そしてこの規模の災害だからこそ、IT技術が重要なインフラである事を改めて感じたし、そして逆にソーシャルネットワークの「怖さ」も改めて感じました。



私は一応IT関連企業に勤めているのですが、常に最新技術ばかりを追っているわけではありません。
むしろプライベートの方では、なるだけ最新技術に触れよう、といろんなものを持っています。
docomoの携帯(会社)
auの携帯(プライベート)
iPhone3GS
iPad3G
WiMAXルータ
MacBook Air(11inch)
(自宅にはiMacもあります)

また、TwitterやFacebook、mixiなんかもやっていて、Evernoteやdropboxといったクラウドサービスも使っています。


震災が起きて、各所が停電になった瞬間、WiMAXは使える場所と使えない場所が出来てしまいました。
私はパケット料金節約のために、iPhoneの3G回線を切って、そのかわりWiMAXを使っていましたから、場所によって使えないのは不便でした。
(結局この数日間はWiMAXをあきらめてiPhoneの3G回線を再び活かしたのですけれど)

停電になってすぐ、会社のデータセンターにいって(ここは無事。しかも無停電装置が働いて電気も普通に通っており、まるで地震なんてなかったかのような状態)、各設備を確認、NTT回線がダウンしている以外は、全くもって「通常通り」でした。

マシンルームを出て、iPhoneでやった事は「Twitter」です。
なにしろメールもつながりません。
auやdocomoもまったくつながらず。
電話はもうアウトな状態でしたが、何故かiPhoneのパケット通信は生きていました。
(ezwebなんかも全く反応しなかったな・・・)

一部、みんなはケータイでワンセグみていたようでしたが、私は使いませんでした。
映像の情報は確かに見たいのですが、twitterで地震の規模や津波の情報が続々と入ってきており、これは電気の復旧なんて難しいのでは、と思ったからにほかなりません。
携帯の充電が切れると、家族との連絡が危ない、と思って、ワンセグは一切使いませんでした。
(おかげで電気がくるまでの二日間、携帯は普通に生きてましたが、ワンセグ見まくった人たちは二日目には電池切れなどで情報が取れなくなっているようでした)


自宅に戻るまでの間、街がすべて停電のため、車のヘッドライトのほかはまったく電気がついていません。
真っ暗。
自宅に帰ってみても、懐中電灯なくしては自宅の中が何も見えない状態です。

そこで活躍したのは「iPad」でした。
iPadは画面サイズが大きく、明るさもあるため、iPadを見ていると部屋が少し明るくなります。
そのあかりのおかげで、妻子はまず気持ちを平穏に保てたようです。
iPhoneと違い、iPadはやはり電池のもちが非常に良いので、たまたまその日の朝に満充電していた事もあり、電気が通るまでもちました。
あ、一回切れそうになりましたが、逆にMacBook airから電気をUSBで送り込み、動かせました。

Macやパソコンは全く使い物になりませんでした。
デスクトップは当然の事、MacBook airのようなノート型でも同じ。
WiFiが繋がらないわけですから(電話もダウン)、なんの情報も入ってこないわけで。

その点、iPadやiPhone(おそらくAndroidケータイもそうだとおもいますけど)といった端末は、それ自身が携帯のネットワークを使えるわけで、情報が普通に取れるんですね。
これはとても便利でした。


電話に限っていうと。
我が家はADSLですが、ADSLモデムが停電で使えなくなっているので電話が一切通じません。
この状態で我が家に電話をしてきた人たちはみんな「なんで出ないの?」と言っていました。
これは、どうやら電話は「コールはする」らしいのです。
でもこっち側のADSLモデムの電源が落ちているので、全くこちらの電話機はならず。
あとで分かったのですが、ADSLモデムから電話に繋がっているモジュラージャックについて、ADSLモデムを外して、壁から直接電話機につなげば、実は電話は生きたそうです。
これは意外な盲点で、次回おなじような事があったら是非使おうと思いました。


あと、携帯メールは落とし穴があります。
auのメールは実は「auoneメール」というのを使って、インターネット経由でメールを確認出来る手法があるんです。
ところが、それだと相手側の携帯電話が「PCからのメールを着信拒否」していると、メールの送信ができないんです。

妹がまさにこれで、docomoのメールを私のau携帯に送ってきていまして、au携帯はまったくつながらないのでメールチェック出来ないのですが、auoneメールでそのメールを読むことは出来ました。
で、そこから返信をするのですが「相手がPCメールを受信出来ないので送れない」となってしまい、妹への連絡手段が全くなかった、という悲しい事態でした。

迷惑メール対策が逆に裏目に出ている、というところですね。
こういう事態の為に、連絡を取りたい知人には自分のメールアドレスからのメールくらいは受信出来るように伝えておいたほうがよいな、と感じました。



あと、停電になっても各携帯基地局は、それぞれ無停電装置が働いて、ある程度の期間は生きているんですね。
なのでiPadは使えたわけですが、残念ながら日数が経つと、無停電装置の電池が切れて、どんどん基地局がダウンしていきます。
そうなると、電波が拾えなくなるんですよね。
二日目の夕方には、iPadはまったく使えなかったんです(近くのSoftbank基地局がダウンしたと思われる)。
また、比較的つながっていた会社携帯も、我が家の二階、窓際において、はじめてアンテナ一本立つ、みたいな状態でした。
auにいたっては圏外。
場所にもよると思いますが、これだけ長い時間停電になると、やはり通信手段の確保は難しいと思いました。



インフラについてはこんなところで、では実際のITサービスはどれだけ使えたのか。

電子メールは比較的(携帯向けじゃなければ)つながりやすかったようです。
ただ前述の通り、PCの電源が入らない、WiFiなんか使えない、といった状態のため、PCを使ったメールのやりとりは、ほとんどの世帯で出来なかったと思われます。

最近話題のFacebookですが、日本においてはまだ登録者も少ないという事から、ほとんど私は使いませんでした。
落ち着いてからようやくチェックしたくらい。
ただ海外の友人が多いような方は、Facebookで無事を知らせる事が出来ているようですね。

意外な健闘をみせた、というと失礼ですが、mixiはこういう災害では非常に役立つのだな、と思いました。
まず「あしあと」を見ることで、被災した人が自分のページを見に来たかどうかが分かるわけで、安否確認っぽく使えます。
また、mixiのログイン日時(5分前、とか3日以内、とか)が分かるので、相手が無事かどうか、についても確認は可能だったようです。
私はちょっとmixiから離れていたため、あまり活用出来なかったのですが、今回はSNSという観点でみれば、mixiは非常に有用だったのでは、と思います。

で、私が一番救われたのは、やはりTwitterです。
自分の安否を知らせる事も出来ますし、フォローしている方々のツイートを見るだけで情報がいち早く入ってきます。
私は1600人程度の方々をフォローしているもんで、日本全国いろんな方々のツイートを見ることが出来ました。
なので、停電で情報が少ない状況でも、日本全国どこからどこまでの範囲で被災しているのか、津波の被害はどうなのか、原発がヤバい、といった情報は、特に「震災直後は」とても有効でした。
それらの情報を正確に妻子に伝えることで、逆に妻子は「そういう規模の災害である」事、「無事な地域がある」事、「沿岸部の被害が大きい」事、といった情報を得ることが出来て、逆に冷静でいられたようです。
テレビなんかを見ている人は、逆にその映像の凄まじさに呑まれてしまい、一体これから日本はどうなるのか・・・みたいに不安がっていた方もいらっしゃったようですが、文字情報、それも割と正確な情報が流れてきたおかげで、頭の中で整理しながら咀嚼出来た点は、かなり今回大きかったと思っています。

ただ。
電気が通るようになった3日後あたりから、Twitterは逆に「正確な情報を得るのが難しい」場所になってしまいました。
拡散RTと呼ばれるものが多くなった事。
それらが「真実かそうでないのか」の判別が出来ないが、人命に関わることだから、とデマかもしれない情報がとにかく大量に拡散されたのでした。
また、その情報を元に、善意でその地区の行政、警察へ「XXが孤立してて危ないからすぐ行ったほうがいい!」と通報が行きまくり、現地警察ではその対応に追われてしまい、実際の救出作業に支障が出た、という事もあったようです。

で、この「あったようです」がミソで、そもそもこの情報ですら真実なのかデマなのか、確認する術がありません。
これこそがSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)の落とし穴でありました。


ここからは自分の思いも含めてを書きますね。

真実だとしても、すでに解決している事が未だに「拡散!」として自分のところに回ってくることもあります。
情報の鮮度がまったく分からない上、それが真実かどうかもわからない状態。
でも一刻を争うから、とみんな善意で広める、という悪循環。

それから、思い込みによる話がいろいろと出始めました。
電気が足りないから計画停電で東北の人に電気を送ろう、とか、買い占めをやめて東北の被災者へ物資を送ろう、とか、物資が被災地に届かないのは国や行政の怠慢だ、などなど。


そもそも計画停電は、東京電力管内における電力低下によるもので、自分たちが使う分が足りないので、計画停電する事でなんとか賄おう、というものです。
福島第一原発だって東京電力のもので、東北電力のものではありません。
お気持ちは嬉しいのですが、それとこれとは話が別です。

買い占めをやめて、というのは、別に東北の人のためにではありません。
すでに店頭に並んでいる商品は、その地域に住む方々のためのものであり、足りない物資は店頭に並んでいるものとは別に普通に「結構な量」送られてきています(各企業の皆様の善意、本当に本当にありがとうございます)。
その地域に住む方々が、いつもどおり必要な量を購入されればいいだけの話ではありますが、こういう不安な事があるのでいつもより多く買ってしまうのでしょう。
そこは理解出来ます(ただしトイレットペーパーの買い占めは、ずっと言い続けていますが「謎」でしかありません・・・)。
買い占めがすべて悪、とは言えないのでは、とも思っています(正直いうと)。


物資が被災地に届かないのは、確かに国や行政の手際の悪さもあったことでしょうが、それ以上にガソリンが不足しているという事、そして震災や津波により各道路が分断されてしまい、アクセスする手段が失われたからです。
物資そのものは各拠点に数多く届きましたが、末端の避難所や在宅被災者の方々に行き届くのは本当に困難な状況なのです。
そしてそれは「今この瞬間も」そうなのです。


なので、私はある時点から、情報収集ではなく情報発信者になるように心がけました。
(それまではデマかどうかもわからない拡散RTを繰り返していた部分は認めます。そしてそれらが救った命がきっとあるのだ、と信じようと思っています)。
被災地の情報がリアルなつながりをもっていろいろと聞こえてくるようになりましたし、岩手県の被災者支援の基地ともいえる盛岡は、そういう情報が割と入ってくるんですよね。
自分自身の体験、体感、実家のある大船渡市や、妻の親戚のいる陸前高田や大槌、友人知人から聞こえてきた宮古や釜石の情報。

大した情報じゃなかったかもしれませんし、あの程度では発信といえるかどうか微妙ではありましたが、情報を出す方になりました。
そしてなるだけ「次」をみよう、というツイートを繰り返してきていて、いまもその姿勢は変わっていません。


・・・ちょっと話がITからそれていきそうなので、戻して。

いずれ、Twitterについては震災時の影響や情報収集ツールとして、使い方や見方、情報の信憑性の確認手法など、いろいろと課題はあるな、と思いました。

でも、それを差し引いても私は今でもTwitterは最高の情報源だと思っていますし、何よりも発信源だとも思っています。
震災時にもっとも使えたサービス、私にとってはTwitterなのでした。
(この項終わり)
posted by ぎじん at 07:54| 岩手 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月25日

震災における中間報告(その2 被災地のこと)

震災の個人的中間報告のその2、です。

このエントリでは「被災地」について書いてみます。

今回の地震における「被災地」はいったいどこなのか。
この話は多分に複雑な背景を秘めていると思っています。

今回の震災は、次のような重要なポイントが起きました。

・地震
・津波
・液状化
・ライフラインの停止
・物流ストップ
・買い占め
・燃料不足
・避難所での物資、燃料不足
・原発事故
・計画停電
・不謹慎の撲滅運動(?)

震災における二次災害も含めて、これ以外にも「医療スタッフが足りない」「現地で起きている犯罪行為」などなど、もっともっとたくさんの事が挙げられるわけですが、すべてをひっくるめて今回は「震災被害」としてしまっているため、被災地、というものが全部ひっくるめられているところがあります(し、逆に二次災害については被災と見なさずに、あえて地震と津波で被害の大きいところをピックアップして「被災地」としている人もいることでしょう)。


地震そのものにおける被害については、東日本全体を被災地と呼ぶべきだと思っています。
程度の差こそあれ、ライフラインは一時的に止まりましたからね。
十分「被災」しています。
もちろん中には家屋倒壊、火災などもありました。
これだけでも相当に大きな被害です。

そして次の被害は「津波」です。
私は八戸とか宮城、福島、茨城、千葉といったあたりは詳しくないので書けませんが、いずれにせよ岩手県沿岸部の被害の甚大さをある程度理解している一人と思っております(もっとも、実際に被害にあわれた方々には「お前なんかに何が語れるんだ」というような状態である事も承知しております)。
こういった人たちがこの「津波」の被災者です。

そして「液状化」。
私は実はあまりテレビを見れていないので、この液状化についてどういう状態なのかを語れる程の情報や知識はありませんが、妻の話によれば「あれはひどい・・・あの人達は立派な被災者。今すぐにでも助けないと」との事なので、相当ひどいのでしょう・・・。

それ以外については、二次災害という形で私は捉えています(原発も含めて)。

なので、一口に「被災地」といっても、正直どこまでが被災地なのか、定義がよくわからなかったんですよね。
本エントリでは「震災による直接影響を受けた沿岸部」を被災地と定義しておきます。

震災での直接被災地については、沿岸部をのぞいて、だいたいは「復旧している」、あるいは「復旧しつつある」状態なんじゃないかな、と思っています(あくまで印象)。
なのでとりあえず内陸部の話は今回は「非被災地」という位置づけにしておきます。



で、被災地です。
今回の震災において、大船渡でも多数の死者が出ました。
報道でも出ていますが、大船渡の綾里地区では最大で23メートル以上の津波だった、と。
これはチリ地震津波の比ではありません。

実は大船渡で育った子供たちは、小学校の社会の授業でチリ地震津波の事を学びます。
そして避難する事の重要性について、トクトクと語られます。
街中にはチリ地震津波で「ここまで津波がきた」というシンボルまで各所にあったりします。

その時に津波で水没した地域にも普通に街並みが整備されてる、とかいうツッコミはありますが、そのための防潮堤だったんですよね。
チリ地震津波の規模が来ても、あの時のような大規模な被害はないだろう、という認識が、みなどこかにあった事は否めません。


なので、避難所もチリ地震津波の時に波が来なかったところに作られました。
そして今回の震災ではそういった避難所は流されてしまっている箇所が数多くあります。
指定された避難所に避難しても、津波に流されてしまった、という人は、大船渡だけでなく沿岸部各地で起こりました。

頼みの綱の防潮堤も、数多い波の力(第一波だけでなく、ものすごい数の波が押し寄せた)に、防潮堤は根元から根こそぎ破壊された、という状況です。
ただし防潮堤のおかげで威力が下げられた点もあり、あれがなかったらより高い位置まで波がきて、より多くの命が流された可能性がある、という点は忘れてはいけません。


津波の恐ろしさについては、私は直接目でみたわけではないですし、まだ現地にも行っていませんから、語る資格はありません。
これから避難された方々がいろんなところで津波の恐怖について語ってくれる(そして語り継いでいく)と思うので、そこは今回触れません。





で。
私がこれから書こうとする事は、不安を煽る物かもしれませんし、被災地で被災した方々の感情的には「お前なんかに何がわかるんだ」と非常にご不快を招くであろう事は容易に想像出来る話です。
ですが、非被災地と被災地のHUBとして、これから実際に復興について一緒に考えていく者のひとりとして、やはり書かずにはいられません。
失礼な部分や事実誤認があったら謝ります。
そういった批判が起きる事を承知で、すみませんが我慢して読んでもらえると嬉しいです。



簡単に「復興!」という言葉が口にされていますが、それがとてつもなく大変な事である、という事を「事実をもとに」考えていきます。



まず、今、被災地で起きている事、そしてこれから起きていくと思われることについて。

テレビで避難所をよく放送しています。
そして避難所の様子がすべてだと、報道を観ている非被災地の方々は思っているかもしれません。

ですが、実際には「家が残っている」人が数多くいらっしゃいます。
(南三陸町や陸前高田市などのように、街が根こそぎ津波にもっていかれてしまったという場所もありますが、それだけではありません)
そしてこうした「家が残っている人」が、避難所にいる方々とはまた違う意味で苦しんでいくのです。


避難所に向けた物資は、あくまで避難所生活をしている人に行き届くものです。
なので、家が残っている人たちに、そうした物資が行き渡る事は、「あまりありません」。
むしろ、家が残っているという事が、在宅被災者の方々に「申し訳ない・・・」という気持ちにさせています。
家を失って苦しむ数多くの人たちに比べれば、自分たちなんて・・・という思いを一番持っているのは間違いなく彼らです。

ですが、家を失った人たちや、その人達を支援する人の中には、精神状態がかなりギリギリという事もあり、つい一言漏らしてしまうのです。

「家のあるやつらはいいよな」

これを聞いた人たちは、(自分たちも食べるものがない状態なのに)あぁ、自分たちは物資なんてもらえる人間ではないのだよな・・・となってしまいます。
食べるものもなくなり、燃料もなくなり、支援物資を少しでも分けてもらおうと、避難所に行っても、避難所の方々にしてみれば「お前らは家あんだろーが!」と。
きっとそういう風に思われるよな、という気持ちが後ろめたさとしてもってしまうため、物資をもらいにいけません。
買い物やガソリンを入れにいっても、「家がある人は・・・」と実際に言われたという話も耳にします。
かといって、今更避難所にいれて、なんて言えませんし、言われても避難所は既に「定員オーバー」なのです。
(大船渡で起きているかどうかは知りません。これは別の地域の方から聞いた話です)


この話は、別に誰が悪いという話ではありません。
ただ、現実として起こっているし、これからも増えると思われる話です。
私たちが報道だけで知る限りの情報では、避難所の人たちだけが苦しんでいるように見えます。
避難所の人が苦しいのはその通りです。
そしてそのケアも絶対必要です。
まだまだ救援物資を届けにくい避難所も数多くあるのも事実。

その上で、逆にこうして陽の目をみない被災者、在宅被災者の方々へのケアについても、どうかみなさん考えていただきたいと思います。
明るい材料としては、地元に残る若い人が、こうした在宅の被災者のケアについて考えて動いている(家をまわるようにしている、避難所の人たちとの交流の橋渡しをしているなど)ようです。
本当に素晴らしい人達で、涙が出てきます。
(ありがとうございます)



また、こうした在宅の人たちには「犯罪」という脅威もあります。
空き巣、火付け、夜に声掛け(家を売ってしまえ!おまえらなんかどっかいってしまえ!というもの)が実際に行われており、灯油やガソリンが抜かれるということも起きています(そしてこうした犯罪者は「他県からわざわざ犯罪行為のためにいらっしゃった」という情報があります)。
警察力も十分でなく、避難所を守るだけで精一杯の行政や自衛隊。
高齢者が数多く住んでいる沿岸の治安については、我々が思っている以上に、危険です。

被災地に入ったボランティアの人が車を盗まれて一緒に避難所生活・・・みたいな話もあると「聞きます」(ソース無いので噂だけかもしれません)。
ただ、被災地では近所の方々で自警団をつくって見回りをしたり、いろいろと身を守るために頑張っている、という状態があります。


つまり、我々はまだまだ知らないだけなのです。
報道を見ていると「ようやく被災地の人たちも落ち着いてきたんだな」と思うのですが、日が経つに連れて新しい問題がどんどん出てきている実情を、まずは捉えていただきたいと思います(し、私自身も改めて見つめ直しています)。




話を変えて。
復興についてです。

岩手県災害対策本部によると、県内24の漁業協同組合のうち、15の漁協組合事務所流失。県内1万4300隻の漁船のうち、操業可能な漁船は480隻で3%。

つまり、岩手県の主要産業のひとつである漁業については、壊滅です。
もはや各個人とか、各市町村レベルでの復興は絶対に不可能です。

漁船がありませんから、漁に出られません。
漁から帰ってきても戻ってこれる漁港がありません。
市場がありません。
冷蔵庫、冷凍庫もありません。
加工工場がありません。
物流がありません。

分かりやすく言えば、サンマは多分もうダメです。
このままでいけば。


養殖棚がすべて流されました。
養殖が出来ません。

これも分かりやすくいえば、「牡蠣」「ワカメ」「ほたて」などは多分もうダメです。
このままでいけば。

ワカメなんかは三陸産が市場の3/4を占めるので、日本の食卓からワカメが突然消えます。
高級食材になるかもしれません。


地元の魚店に魚が入ってきません。
そもそも魚店も流されてしまって、設備もなにもかもありません。
すでに廃業を決めている魚店もあるようです。


盛岡市内で見ても、魚が入ってこない以上、回転寿司、地元の魚介類を扱う店など、仕入れが出来ませんから営業が困難になります。
日本海側や青森沿岸部(比較的被害の少ない地域ですね)から魚介類を買い付けるという事になるのですが、今までとは全く違う流通ルートが必要になり、入手が困難、資金繰り悪化、という状態で、非常に苦しいでしょう。


なおかつ漁業関係者は高齢化が進んでいます。
今回の津波などで家財道具、仕事道具一式失ってしまった人たちが多い状況で、どれだけの人たちがゼロから漁場を創り上げていく、というモチベーションを持てるのでしょうか。
さらに言えば、今回の津波で海は海底からグチャグチャにかき混ぜられました。
養殖を行ったりするための漁場が安定するのかどうか、私は漁師ではないのですが、影響がまったくない、とは言えないのでは、と思っています。


また、沿岸部に住んでいた者として、地域のコミュニティが「血族で作られている」という実態がある事も語らなくてはいけません。
本家、分家、土地絡み、先祖からの確執などなど、未だに根強く残っている地域はあります。
土地やらなにやら、ほとんどゼロからのスタートを余儀なくされる地域では、こうした地元の人達のコミュニティによって、思ったように復興が進まない可能性もあるのでは、と危惧しています。
有無をいわさずに復興計画を作って無理矢理土地を整備してしまっても、このコミュニティにおける「わだかまり」が残ってしまっては、思うように復興が成るとは思えません。
こうした地域特性の問題にも「ある程度」配慮が必要なのでは、と個人的には思っています。


少しオーバーに感じる方もいるかもしれませんが、これはまさに「現実に起きている、そしてこれから起きうる」事です。
もしかすると現地ではもっと状況は悪いかもしれません・・・。


そして、こうした現状を踏まえる事が、実は「復興」と口にする前の、スタートラインに立つ、という事です。
こうした現実について、被災地の人たちはまだピンと来ていないと思います。
命があってよかった、まずは食べ物を、水を、住むところを・・・。

ですから、被災地に近い私たち内陸の人間は、一緒に悲しむのではなく、そろそろ本格的な復興について、現実を見据えて考え始めなくてはいけないと思っています。

なにしろこれから被災者の方々を支援しながら、自分たちの食い扶持も稼がなくてはいけません。
失業者が増えるので、税収も減ります。
国の支援をいただけるのはありがたいですが、国が主導する復興計画が、果たして上記のような問題をクリアしてくれるものなのか、そんな保証はありません。
少なくとも私たち自身が生きているこの土地において、私たち自身の問題としてえみんなが一体となって考えなくてはいけない問題です。



少し感情的になっちゃいますけど・・・とにかく「岩手」が沈んだらダメなんです!
沿岸が沈んだら、岩手は沈んじゃうんです!

正直な話、内陸の人と被災地との温度差は「たしかにあります」けれど、同じ岩手県民、東北人として、ただ与えるだけの支援ではなく、「次」を考える段階にきていると思います。

「次」に向かって出来ることを、みんなで一緒になって考えていきましょう。



ご不快に思われた方もいらっしゃるでしょうが、これが私の偽らざる気持ちです。
書いてよかったのかどうか、正直今でも悩むところですが、何卒汲みとっていただければ幸いです。


被災地のことについては、ここでひとまず終わっておいて。
以降の観点からの中間報告は後日また改めます。
(この項終わり)

posted by ぎじん at 17:52| 岩手 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

震災における中間報告(その1 被災地の家族のこと)

世の中なにか楽しいことをしようとか、考えよう、とかすると「不謹慎」と言われるので、いっその事すべて「チャリティー」って付けたらいいんじゃね?とか思ってるぎじんです(Twitterでもつぶやきました)。
こんにちは。

でも、いいと思いませんか?

チャリティお食事会
チャリティ飲み会
チャリティデート
チャリティ買い物

余った小銭は募金箱へチャリーン!



被災地の方々のご苦労、ご心労につきましては、我々のようにライフラインも復活していて雨風しのげる家屋で暖かく眠れる人間には全く想像も及びつかないものと察します。
ただただ皆様が一日も早く「安心」と「安全」の両方を手に入れ、健康で暖かく、普段どおりの生活が営めるように、全力で頑張ります!
被災地の皆様方がもう頑張らなくても良いように。



いろんな思いが交錯する二週間でした。
そんな中、まだこの震災は「終わっていない」わけで、むしろこれから「はじまる」話が多いのです。
(原発の話も含めて・・・それ以外にも数多く、これから「はじまります」、震災被害が)


なので、次の観点で、自分なりの中間報告をまとめておこうと思います。

(1)被災地(岩手県大船渡市)の家族のこと
(2)被災地(岩手県沿岸部)のこと
(3)震災でのITのこと
(4)原発のこと、電気のこと
(5)自分のこと、身の回りのこと、これからのこと


このエントリではまず「(1)被災地(岩手県大船渡市)の家族のこと」について書きます。


私の実家は、岩手県大船渡市にあります。
3歳から高校を卒業するまで、今も残るこの大船渡市の実家で過ごしました。
その後、盛岡に出てきて、今日まで盛岡でずっと(途中短期で関東行ったりはありましたけど)過ごしています。

実家のある場所は猪川町の中井沢という地区。
まぁ長谷堂、といった方が地元では通る地区です。

近くに大きな川があるわけでもなく、その昔チリ地震津波が来てもそこまで到達してなかったことも考えると「まぁ津波は大丈夫」という場所です。
そして今回も「大丈夫でした」。


盛岡で11日に地震を食らった私は、真っ先に自宅の妻子の安否を確認した後、実家を心配しましたが、まぁ津波がきてもあの地域は大丈夫だし、きっと無事だろう、とタカをくくって仕事をしてました(IT関連企業でEDI絡みの仕事なんで、こういう時のサポートは本当に急を要するものなので)。


ところがその後、盛岡はずっと停電になったため、映像として大船渡がどういう状態なのかが全くわかりませんでした。
真っ暗な家の中で、いつ電気が復旧するかわからないという不安を抱えた妻子。
とにかく安心をさせるためにiPadでかろうじて拾うSoftbankの3G回線で情報収集。
震災始まってすぐのTwitterは、とにかく「今おきていることの実況」という意味で、メチャクチャ助けられました。
正確な情報が非常に多く、まぁ中にはデマもありましたが、個人の安否確認とか、善意によって広まってしまった「過去の被災状況」とかも流れず、まさにいま起きている事が流されていったので、テレビやラジオがなくても状況をつかむことは出来ました。
(この辺りは別項でまとめます)

ですが、その中でも大船渡の話はあまり出てこず、津波で被害をうけている、陸前高田や釜石がひどい、気仙沼が燃えている、といった緊迫した情報が飛び交っていたため、ますます実家の事が不安になりました。
頭の中では最悪のシナリオも想定している自分がいました。

家屋が倒壊してるのでは、津波が予想以上に大きくて飲み込まれているのでは、火災が発生して家も燃えてしまったのでは、その時間街に出かけていて車ごと飲まれてしまったのでは・・・。


本当はすぐにでも大船渡に行きたい気持ちはありましたが、とにかく今は妻子を落ち着かせる事、自分に与えられている仕事を最後まで面倒みる事、正確な情報を入手する事、この三点を意識する事で、なんとか自分の気持ちを落ち着かせていました。
きっと実家は大丈夫。大丈夫に決まっている。

埼玉に妹がいるのですが、妹も必死で私や母、祖母と連絡をとろうとしていたようですが、全くつながらず。
(携帯電話はほぼ全滅といっていいほどつながらなかったし、停電だと我が家のADSLもつながらず・・・実はスプリッタを介さなければつながるのですが、これはまた別項で)

ようやく繋がるようになったのですが、母や祖母と連絡は取れておらず。
ただ妹は妹で大船渡の情報をいろいろ仕入れていて、どうも自宅は無事っぽい、という事まではわかりました。

で、震災から3日経ったある日、妹のところに母から電話が入ったとの事。
みんな無事、と聞いてとにかく全身の力が抜けました。

その翌々日だったか、大船渡もauがつながるとの事。
実家に身を寄せていた母の友人がauという事で、そこから妹に電話がいったようで。
妹からその電話番号を教えてもらい、電話をかけました。

その友人な方と会話をして(私もよく知っている人)、もうなんというか、ほっとしたというよりも、ようやく「あぁ無事なんだな」という安堵感。
そちらはどうなんですか???と聞くと

「いやー、電気がようやくきてねー、水は出ないけど、みんな楽しく元気で、毎日あはは、おほほ、となんだか被災した人じゃないみたいに明るく楽しくすごしてまーーーす」

と言われ、あぁ、本当に我が家は無事なのね、とwwwwww

# リアルで私の母や祖母を知ってる人ならわかると思いますが、私なんぞ相手にならないほどの
# 口数の多さ&オモシロ一家でございます・・・私はこの家では「無口」な人・・・
# 祖父が亡くなった時も、葬儀終わった後に参列者へのお食事をさし上げた会場から帰るときに
# 祖父の遺影を忘れていきそうになり(ヲイ)、掃除のおばさんに「忘れてる!」と言われた
# 瞬間、一家でバカ笑いしながら「だめよー、おじいちゃん、ちゃんと声かけてくんなきゃー!」
# っていう一家です・・・不謹慎一家(苦笑)・・・


で、その友人は娘さんの家に(電気がきたから)引き上げていた、との事。
近くだから、と電話握りしめて実家まで走ってくれました。


で、しばらくして恐る恐る電話をかけてみると・・・・


「もしもし」




かあさーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!










「あら、あんた、何回電話しても出ないんだもの、無事だったの?あーーはっはははははは」









ヲイ!!!!!!!!


その後、妻に受話器を渡して、妻は号泣・・・(電話の向こうで母も号泣・・・って、む、息子の俺の立場って・・・・・!)。


なんにしても無事でよかった。
状況を聞くと

・地震がおきた時は母、祖母ともに自宅
・すごい音で二階でいろいろ起きているっぽいが、こわくて見に行ってない
・電気がとまり、携帯も繋がらなくなった(津波の影響)ため、状況が全く把握できなかった
・(この電話をしている日の朝から)岩手日報が届いたので、ようやく事態を把握できた
・震災の日の午前中に灯油とガソリンを満タンにしていたので大丈夫
・ガスがあるから煮炊きは出来て、ご飯も炊けてる
・食料はだいぶ減ったが、実はマイヤのインター店(地元スーパー)があいてるのでなんとか大丈夫
・電気が通ったから寒くてもクーラー入れればなんとかなる
・風呂だけが問題。風呂以外は問題ないから心配すんな

まぁこんなところ。
いずれそっちが心配(家はかなりクラックが入っており、ちょっと直すのは無理じゃね?というレベルだそうな)なので、盛岡に疎開を、と言ってみたら

「えーーーー、いけないよーーーーー」

は?なんで????

「放射能がこわいもんーーーーーー」

ヲイ!!!!!
(とその時はツッコンだが、果たしてこれから先も笑い話になるのかどうか・・・これもまた別項で)



まぁそんなわけで(こちらもガソリンがなくて迎えにもいけない)、しばらく様子を見ることに。
ガソリンはまだあるようなので、落ち着いたら(こんな時でもご近所の心配をしまくるところが「我が家」である)盛岡に来る、という話に。

まぁ積もる話は、盛岡にきてからじっくり聞いてあげよう、と思う。


なんにしても、本当に無事でよかった・・・。
(この項終わり)

posted by ぎじん at 17:51| 岩手 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月18日

地震から一週間

盛岡在住のぎじんです。
無事です。
実家(大船渡市)の母と祖母も無事が確認出来ています。

盛岡は今はライフラインも復旧していて、比較的無事です。
ただ、燃料が無いことから物流が滞り、食料品や生活必需品が「圧倒的に」不足している事態です。
灯油も無いので暖房がつかない家も多いようです。
通勤出来ない人も数多くいる事から、盛岡の街は死んだようになっています。
また、ガソリン泥棒やらなにやら、治安の悪化もあります。


それでも。
沿岸部で被災されている方々に比べれば、我々は雨風もしのげますし、電気もあります。
水もあります。



少しだけ地震当時の事を書きます。

ちょうど仕事をしていて、オフィスのあるビルの6Fで作業をしていたら、「ぐらっ」ときました。

あ、地震?
(実はこの数日前にも少し大きめの地震がありました)
またかぁ・・・・と思っていたら・・・・


長い・・・・

大きい・・・・

大きな横揺れでした。
机の上の書類が大きく振幅して崩れ落ちます。
パソコンのモニターを押さえつつ、とにかく揺れが収まるのを待つのですが、今まで経験したことのない長さで揺れまくります。

電気も次々と止まり、無停電装置が「ぴーっ!」とけたたましい音を鳴らします。

ようやく揺れがおさまったのは、どれくらいの時間のあとでしょうか。
(一部には「6分の揺れ」というのも読みましたが、実際いくつだったかは全くわかりません)

とにかく呆然自失としてしまいましたが、はっ、と我に帰り、慌てずにビルを階段で降りました。
その後、自宅へ電話。
その時はかろうじて電話が通じて、妻と子供の無事を確認。
(その後、電話がつながらず)

とにかく周りすべてが停電。
けたたましい消防車や救急車のサイレンも響き渡る中、オフィスの中のデータセンタールームへ一直線!
ここが死んでしまうと・・・・と思ったら・・・・無事でした。
無造作に積まれてあったダンボールすら倒れておらず・・・すげー・・・。
もちろんサーバも電源も大丈夫(無停電装置があります)。


ただ、電話回線がダウンしてしまった(NTT)ようで、EDIデータの送受信が出来ません。
ってか逆に、それ以外は全然大丈夫。
すげー!


まぁ仕事の話はさておき・・・。

盛岡も結局電気が入るところはほとんどなく、この日は会社からの緊急連絡で動く可能性もあったため、社用車を運転して帰宅。
しかし信号がすべて止まっており、警察もすべてを賄うわけにはいかず、大渋滞。


でも、譲り合ってるんです、盛岡の車。
割り込む事もなく、クラクションも鳴らさず。
鳴らしてるクラクションは、お礼のクラクション。
今にして思うと泣けるのですが、当時は「立派だなー、みんなー」となんだか冷静になってました。

自宅に帰ろうと、動かぬ車の中でなんどもなんども電話してようやく妻と連絡が。
妻は実家にいるとの事。
(こっちの自宅から2kmくらいの位置にある)
そちらへ向かうことに。

で、とにかく実家と連絡がつきません。
テレビなんぞ全く見れず、携帯もほとんどつながらず。
電気が来ないということは・・・きっと携帯の電池も切れてしまうのね、という事で、間をあけつつ連絡を試みますが、ダメ。
(結局連絡がとれたのは日曜の昼過ぎで、それも埼玉の妹がとれている・・・私が直接話が出来たのはもっと後)


まぁその後の事もいろいろあるのですが、いずれ電気が復旧したのは妻実家が土曜日の夜、自宅は日曜の夕方(昼?)でした。

電気の全くない生活、水のでない生活・・・わずか2日程度ですら相当不安になりました。
それを思うと、被災地の方々の思いたるや・・・なんとも言えません。


今回の地震で私が個人的に一番使えたのは「iPad」でした。
携帯がのきなみダメで、iPhoneも今ひとつ動きが悪かったのですが、iPadは3Gモデルという事もあり、外部電波を拾ってネットが出来ました。
おかげでTwitterができて、こちらの情報発信ならびに情報受信のおかげで助かりましたし、その大きな画面の明かりで妻子は夜安心出来たようです。

ほぼ正確な情報をTwitterで入手でき(その後、デマやらなにやらが大量に出まわって情報精度が落ちたというのもあります)、電気の復旧、地震の規模、津波による被害などを知りうることが出来たのは、逆にパニックにならずに済んだと思っています。

未だに被災地では「自分の住んでる地域だけ地震と津波がきた」「なんで誰も助けにきてくれないんだ」と思っている人がいると聞きます(義父が先日大槌町に入ったとき、そういう声をいろいろ聞いた、との事)。

情報は人を不安にもさせますが、逆に安心させるものでもあります。
正確な情報をしっかり受信する事が出来る手段、というのが、結局は震災の時にはとても大切な事なのだな、と思いました。



いずれにせよ、私は自らが無事であった事に加え、まだ地元で苦しんでいる母や祖母をはじめとした、友人知人のためにも、Twitterを使ってなるだけ情報を流しています。
(ただし安否に関する情報などについては意識して避けています・・・・すみません)
すべてをただ流すのではなく、一旦自分のフィルタを通して、こういう情報は流していいな、これは別に流さなくてもいいや、とやっていますので、必ずしも皆さんが必要とされる情報だけではありませんが、なにかのお役に立てれば、と思います。
フォローしろ、とは言いません。
もし必要ならばお役立てください。
情報も必ずしも正確ではありませんし、盛岡の話に偏っていると思います。
必要なければブロック、アンフォローもご自由に。

http://twitter.com/gijin_ob

今回の震災でたくさんの方々が辛い思いをされていますが、一日も早く皆さんが笑顔を取り戻せますように。
posted by ぎじん at 07:46| 岩手 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月14日

36

はい、バレンタインデーで36歳になりました。
おめでとー自分www

ということで、ついに、というか、ようやく、というか、亡父の年齢を越えました。
もちろんすでに日数では越えていたわけですが、実際の「年齢」で、父が生きられなかった年齢に到達した、というのは、個人的には非常に重要な意味を持っています。
まぁその話はいたるところで書いているので置いておいて。


で、年男なわけですね。
あっというまに3巡目が終わり、4巡目に入るんだなぁ、と。


「そろそろ誕生日を祝ってもらっても嬉しくないんじゃない?」
とか言われますが、全くそんな事はありません。
やっぱりね、自分が生まれてきて、良かったんだなぁ・・・って実感出来るじゃないですか、祝ってもらえると。
一年にそう何度もないです、こんなにいろんな人から「おめでとう!」って言われるのは(主にネット関係で)。
今日だけでも何人の方々に「おめでとう!」と(通信で)お祝いされたことか!!!
ありがたいことです、本当に。
皆様のおかげ。
おかげさまで、こうして楽しい人生を送ることが出来ております。
感謝。


自分にとっても、そして皆様にとっても良い一年が送れますように・・・。

posted by ぎじん at 22:54| 岩手 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日々の独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月29日

深夜のコンビニ

えー、深夜のコンビニなう、です。
ベトプロ演奏会のチラシのコピーをしております。

それにしても、iPadとかのおかげで、大量コピーしてる時間でも、こうしてBlogの更新ができたりするなんて、便利な時代になったなぁ、とか。

WiMAXも導入したし、デジタルガジェットについてはこれからも注目していかないとなー。
WiMAXについては後日改めて。


あ、終わったw
さ、帰るとするか。
posted by ぎじん at 23:08| 岩手 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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