まぁクラシック音楽に限った話じゃないのですが、何かにつけて「天才」という言葉を頭につける傾向ってありますよね。
この便利な言葉のおかげで、なんでもかんでも「天才」と呼ばれるようになってしまうと、かえって胡散臭く感じてしまうようになるのは私だけ?
で、これまたよく聞く言葉に「鬼才」があります。
クラシック音楽のCDなんかにもよく「鬼才!」とか書いてあって、ちょっとワクワクしてしまう(笑)のですが、そもそも「鬼才」ってなんでしょうね。
鬼才、っていうキャッチフレーズは「ひとと違う、割と常軌を逸しているのでは、と思われるような才能」を思い起こさせます。
実際そういう使われ方をしている気がするのですが、本当のところはどうなんでしょう?
調べてみたら次のようなものを見つけました。
「仙才鬼才」
(意味)
他の人に比べて飛び抜けてすぐれた才能。
▽「仙才」は仙人のような才能。
仙人は人間界を離れて神通力を得た人。
「鬼才」は人間業とは思えないようなずば抜けた才能のこと。
もとは唐の詩人の李白を仙才、李賀を鬼才と称した。
私は「仙才」なる言葉はお初にお目にかかったのですけど、まぁ「天才」と同義なのかな、と捉える事にして。
人間業とは思えない、というところから、人を超えた「鬼」の力を持つ、という事なんでしょうね。
という事で、個人的に「鬼才」だと思っている指揮者を二人紹介します。
どっちも「ゲンダイオンガク」のスペシャリストってあたりが「鬼才」っぽいでしょ(笑)?
・ミヒャエル・ギーレン
この人、1920年代生まれですからもう80過ぎなんですよね。
にも関わらず最近また精力的な活動をしている指揮者です。
いや、本業は現代音楽作曲家だったのですが、ストラス・ブールという名指揮者の後をついで南西ドイツ放送交響楽団(バーデンバーデン)というオケの首席指揮者に就任してから、一気にこの「あやしい世界」が話題になった人です。
今は亡き「インターコード」というレコードレーベルから出していた驚きの録音は、とにもかくにも「分析系演奏の最右翼」。
あのブーレーズだって、当時のギーレンの演奏に比べたら「あぁ、なんて愛と歌心にあふれた演奏!」と思うでしょう。
ベートーヴェンなんて聴くと、もうまさに「楽譜に書いてある事をありのままにさらけだす」というやり方で、楽譜の見た目がそのままコンピュータ上で表現され、それを人間という楽器を使って再現してんじゃねーの?というくらいのすごさでした(笑)。
最近は丸くなって(笑)、その頃に比べれば歌心も豊穣な響きも出てくるのですが、それにしてもこのテクスチュアは異常。
旋律がぶった切れるマーラー、いろんな声部がものすごく変なバランスで出てきては消えて・・・を繰り返すブルックナーなどなど・・・おすすめです(笑)。
もちろんゲンダイオンガクになるとえらい愛情を持って臨む辺りがまた面白い。
インターコードというレーベルは倒産してしまいましたが、現在は「ヘンスラー」というレーベルから数多くの録音を出しています。
近年バルトークやストラヴィンスキーの録音に走るあたり、若干ブーレーズっぽい感じもありますが、やってる事の方向性がまるで違うところが面白いです。
個人的おすすめは「ブラームスの交響曲全集」。
アゴーギグってなんですか?楽譜に書いてないからインテンポでっせ、という潔さがきちんとブラームスの音楽的主張とかみ合った稀有な演奏。
特に4番は同曲の数ある録音の中でもトップクラスに位置する名演と呼びたいです。
ギーレンの録音を数多く聴いているわけではないですが、個人的には「もっと聴きたい」指揮者です。
(金が続けばみんな揃えたいくらいだ)
・シルヴァン・カンブルラン
上記ギーレンの後に南西ドイツ放送交響楽団(現在はバーデンバーデン・フライブルクSWR交響楽団というのだそうです)の首席指揮者に就任した、フランスのまさに「鬼才」です。
ギーレンと同じくゲンダイオンガクのスペシャリスト、というイメージ(メシアン管弦楽曲全集とか、ラッヘンマンの「マッチ売りの少女」を録音したり)。
いや、正直この人は全く知りませんでした(笑)。
録音がまとまって出てきたのがつい最近という事もあるんでしょうね。
(すでに60歳を超えていますが、ヨーロッパでは超メジャーな指揮者との事・・・知らなかった・・・)
iTunes Music Storeで上記ギーレンの録音を見てたら、たまたま発見。
試聴したのが「春の祭典」だったのですが、これがもう驚くほどすごい演奏の予感(各トラック毎に30秒しか聴けないので)。
早速ギーレンをそっちのけで(オイ)購入しました。
ぶっ飛びましたよ。
数多くハルサイを聴いてきた私にとって、今更新しいハルサイの演奏で「むおっ!?」と思わされることなど無いと思っていましたが、現時点では私の中ではこの録音が一番好きです。
重心が低く、テンポもかなりゆったりしているのに、リズムが冴えわたり全くダレません。
「え?こんなことやってるの?」というような響きが聞こえてきたり、ものすごい「透かし」の技術です。
このテンポの安定感が「あぁ、この曲はこういうテンポでなければいけないんだな」という説得力を持ってきます。
そしてこのテンポが生み出す色彩感は、ともすればスピードとリズムでスマートに決める傾向(特に最近)にあるこの曲の演奏に対してのアンチテーゼとも取れます。
一歩間違えれば「フランス音楽???」と思われそうなくらいのこの演奏。
でも考えてみればバレエ・リュスに向けた曲だったわけですから、そういう演奏もアリなのかもしれませんね。
(初演者はピエール・モントゥーだったし)
この録音は他にドビュッシーの「遊戯」と、デュカスの「ラ・ペリ」がカップリングしてあります。
どちらも名演で、遊戯に至っては私はこの演奏で初めて「こんなに素敵な曲だったのか」と驚かされました。
ラ・ペリはおそらくこれ以上の演奏は考えられないのでは???
ファンファーレを実に明晰なバランスで聴かせてくれるので、デュカスが意外にも驚くべき和声進行を駆使していた事を如実に表してくれます。
なんかこう書くと「難しい曲を難しそうに演奏する」みたいに聴こえますが、全く逆。
難解と思われていた曲をこんなに身近に聴かせてくれるとは!という驚き。
響きなんかをデフォルメして、わかりやすく伝えるという手法に走らず、スコアに忠実に、明晰に分析する手法ながらも実は「歌」や「響き」や「色彩」をそこに載せていくことで「ファンタジー」を作り出すのです。
(それがハルサイにも活きている)
テンポの妙、とでも言いましょうか、この人はテンポとリズムの関係性(そして響きの指向性)を自在に操れるのでは?と思うのです。
早めのテンポでスマートに決めるのではなく、どっしりとしたテンポで余裕すら感じさせつつも全くダレ無い音楽進行を実現しながら全ての声部を際立たせていく(そしてその響きをブレンドさせたり透かしたり)。
ちょっとすごい指揮者。
オケがドイツオケだった事なんかすっかり忘れてしまい、目もくらむようなエスプリを感じさせてくれるんです。
(最もオケの技術レベルがとんでもなく高度な事もあるのでしょうね・・・ベルリンフィルより機能性においてはすぐれているのでは???)
あ、そして個人的にうれしい事が。
この人は2010年に読売日本交響楽団の常任指揮者に就任する、との事(!)。
読響はアルブレヒトとかスクロバチェフスキといった指揮者を常任に迎えてきていたので、ドイツ音楽が得意、という勝手な印象を持っていました。
N響がデュトワを迎え入れたのと同じく、カンブルランを迎え入れることによってどんな化学反応が起こるのでしょうか。
2008年11月04日
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