岩手県立美術館って実はそんなに何度も足を運んでいなくて、今回が多分二度目。
一度目はピカソ展。
とても空いていて、ゆったりとひとつひとつの作品を見ることが出来て、美術館になるだけ行きたいなぁ、と思ったものでした。
私は音楽以外の芸術には本当に疎いもんで、絵画を見ても「ふーん」としか思えないような人だったりします。
でもこのピカソ展はかなり楽しめました。
だからといって絵画を見ることが好きになったわけではないし、彫刻にしても何にしても、あまり心惹かれなかったり。
で、今回もあまり(実は)気乗りしてなかったのですけれど、ルーブル美術館の展示物の一部を被災地の美術館で輪番展示みたいに公開するらしく、たまたまこの連休中に岩手県立美術館で公開されていたんですよ。
妻がこういうの好き(妻は絵画が好きなのです)だというのと、私も歴史的資料価値の高いものをこの目で見ることが出来る、という事にロマンを感じて(笑)、行きました。
ルーブルが目当てでしたが、その時たまたま開催されていた「松本竣介展」もついでだから見ようか、と見てみたわけですが・・・これがもう感動しちゃって!!!!
岩手が生んだ夭折の天才画家、らしいのですが、失礼ながら私はお名前を存じ上げませんでした。
とてもたくさんの絵画がストーリー性を持って並べられたその展示空間は、私にとってはルーブル美術館展よりもずっと貴重なものに思えてなりませんでした。
いや、もちろんルーブルも良かったんですよ。
古代エジプトの出土品とか、ルイ14世のコレクションの一つが見れたりとか。
完成された美、とでもいいましょうか、確かに美しさの極地、と言いたくなるくらいに見事なものが並んでいました。
あの「曲線美」はエロスすら感じますね。
それとは全く対極な松本竣介展。
直線の織りなす繊細さと力強さの共存。
それらに立体感と深みをもたらす「青」。
この方はこの「青」が独特の雰囲気を生み出しているんですね。
(実際この人を語る上で「青」というのは外せない要素との事)
そして何よりこの人は「常に未完」であったのでは、と。
とにかく作風が変わりまくります。
短い生涯(36年)のなかで、ここまで変わりながら、それぞれで果敢な挑戦をしていて、なおかつそれぞれで自分のスタイルを確立するところに至る、というのは本当に凄い。
実験的な作品も数多くありました。
人物画ではどんどん対象が中性的に変わっていくし、突然自画像を多数書いたかと思えば、家族を書いた絵も存在したり。
自分の子供が描いた落書きをモチーフにしていく辺りでは、自分のトレードマークとも言える青を使う事で、立体感や躍動感を生み出そうとしていたりして、子供の描いた絵に秘められた何かを掘り起こそうとしているかのようでした。
また戦時(幼少の頃に聴力を失ったため兵役免除)にはあえて空襲の多い東京へ残り、戦後にはその中から芸術協会を立ち上げようと苦心する。
戦後の作風も大きく変わり、青い色ではなく、なんというか赤茶を基調とした焼け野原を描写していく様には、作品を通して戦後の焼け野原の美しさを表しつつ、戦争という野蛮な行為そのものに対しての怒りも見え隠れしているように思えました。
(戦後の焼け野原の美しさ、については氏自身がそのように語ったとされ、ただし戦争で亡くなった人たちの事を思えばそんな事は軽々しく口には出せないことは承知している、という前置きの上で「それでも美しい」と表現されていました)
それで。
この展示を見ながら思うのですが、もちろん松本竣介自身の絵の力による感激もありますけれど、こうした「展示」は、いわば作者の「点」ともいえる作品を、展示する順番などを苦心しながら我々見る者の「動線」でつなぐ、という行為があってはじめて伝わってくるのだな、と。
点だけで彼の人生すべてを語ることは出来ないわけで。
これこそがいわば美術館における学芸員の仕事であるのだ、と妻に教わりました。
なるほど。
そして最後の最後。
戦後の彼の赤茶の絵画が並んで、最後の最後、一枚が小さな青い絵で終わっていました。
この青い絵が何を表しているのか、細かい注釈はどこにもありませんでしたが、これこそは学芸員のメッセージであるのでは、と。
一点この青い絵が出てきたおかげで、私はここがこの展示の最後である事を理解したし、全体をぐっと締めてくれたと思っています。
それだけでない何かがあったのかもしれません。
言葉に出来ない何かを感じ取った気もします(し、感じ取れなかったかもしれません)。
いずれ、最後の一枚をもって、私は松本竣介の人生に深く立ち入りながら、現実へ戻ってこれたのでした。
美術館、面白かったなぁ。
日常の中の非日常、という意味では、音楽と通じるものがありますね。
俄然絵画に興味が湧いてきました。
描く、というのにはあまり惹かれませんが(笑)、東京にせっかく出てきてるんで、ちょっといろいろ巡ってみたいな、と思わされました。