盛岡は雪。
今年は・・・本当にいろんなことがありました。
毎年月並みにこのセリフを書くのだけれど、この2011年に関しては、しみじみと思わされます。
忘れたい一年でした。
忘れたくない一年でした。
忘れられない一年でした。
忘れてはいけない一年でした。
思えば2011年は東京で迎えました。
仕事で出張。
一人で年末を過ごし、年始を迎えた、そんなスタート。
今年は忙しくなるなぁ、思いやられるなぁ、そんな話を家族としていました。
個人的に大きなニュースを幾つか。
まず。
2月に36歳になりました。
昭和52年9月1日、父が35歳で亡くなっています。
当時私は2歳半。
亡くなった父はいろんな人達に「あいつは凄いやつだった」を言われた人。
子供の頃からずっとそれを聞かされていた自分は、父は乗り越えられない壁、という思いで生きてきました。
そんな父を、ようやく超えられた、そういう瞬間。
憑き物が落ちたように、気持ちが軽くなったのを覚えています。
それから。
9月に転職。
東京に移り住みました。
14年以上勤めた会社を辞めて、まぁ言ってしまうと「ベンチャー」な企業に転職。
ほぼ10年ぶりの一人暮らし。
結婚して9年、もうすぐ10年というのにねぇ。
妻子を盛岡に残して、一人で東京での生活です。
何しろ学生時代、社会人生活を通して10年間は「下宿住まい」だったわけで、実は自炊の経験ってないんですよ。
料理と呼べるものではありませんが、なんとか自炊と外食(主にラーメン・・・ってヲイwww、いやマジでラーメンばかり食べてるわけじゃないですから!)で生きとります。
息子も5歳で、来年いよいよ小学校。
どのタイミングで東京へ妻子を呼ぶか、非常に悩ましいところですが・・・あと数年はこうした生活は続く予定です。
仕事の話は・・・まぁちょっといろいろな人が見ているのを知っているので、微妙に書きにくいんで、まぁご想像にお任せします(笑)。
で、結局やっぱり、2011年は・・・。
3月6日、ベートーヴェン・プロジェクトでピアノ協奏曲第6番(Vn協奏曲の編曲版)と田園を演奏。
とても大変な曲なので、これを乗り切れば、という思いもあって。
遠くからたくさんの方々にも見に来てもらいました。
なんとか無事に演奏も終わり、個人的にもひとつの区切りをようやく超えたな、と思いました。
・・・その余韻に浸る間もなく・・・3月11日。
あの日です。
何を書いたらいいかなぁ。
長く激しく揺れた地震。
停電により状況がまったくわからなくなった日々。
大船渡に残している母と祖母の安否がわからず不安な日々。
友人知人の訃報。
見知った街が壊滅しているのを実際に目にした時の虚無感。
震災が起きてからしばらくの間、Twitterでは被災地の情報という事で、私が見聞きした情報をなるだけツイートするようにしてました。
私自身の思いも含めて、しばらくは震災ツイートを繰り返していました。
でも今はほとんどツイートをすることはありません。
これは別に震災のことを忘れたわけではないんです。
津波の被害に遭われた方々が、自分たちの見てきたものを情報発信出来るようになったからです。
実家のある大船渡へ行って、実際に被災地を目の当たりにしたり、避難所を実際に見たり、現地の知人からの話を聞いたりしたことを、盛岡に戻ってからツイートすることが多かったし、それらの話をまとめた上で自分の思いも含めてツイートしていました。
でも私自身がリアルで津波の凄惨さを体験したわけではないし、避難所で生活してたわけではありません。
私が語ることはやはり一面でしか捉えられていないよね、という思いをずっと持っていたし、現地の人たちが自分の思いを自分の言葉で語れるようになったのであれば、逆に私は余計なことを言うべきではないよね、と思ってフェードアウトしています。
久しぶりにこうして震災の話を書こうかと思いだしてもみましたが、やはり言葉を選んでしまいますね・・・。
あの震災がなければ、転職もしなかったよなあ、とつくづく思うわけで、被災された方々がそうだったように、私自身も人生が大きく変わりました。
そう、2011年は人生が変わった年。
決して忘れる事のない、そんな年になりました。
そんな2011年ももうすぐ終わり。
本年はたくさんの方々にご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした。
来年もまだまだ皆様にはご迷惑をおかけするかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。
それでは皆様、良いお年を。